大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和53年(う)1027号 判決 1979年3月23日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮四月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人前堀政幸、同前堀克彦共同作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(予見可能性の有無に関する主張)について

論旨は、要するに、被告人は、本件被害者にとらふぐの肝料理を提供するに際し、わが国古来伝統の水洗いと煮沸による調理方法を施していたものであつて、この調理方法によると通常人の身体にはなんら影響を与えない程度にふぐ毒が稀釈されるのであるから、被害者のみがふぐ中毒症状を起して死亡するに至つたのは同人の身体的欠陥に起因していると考えざるを得ず、こうした特殊事情は被告人にとつて全く予見し得ないことであるから、被告人に過失責任を負わせることはできないのに、原判決が被告人に本件致死の結果について予見可能性があつたとして被告人の過失責任を認めたのは、法令の解釈適用を誤りあるいは事実を誤認したものである、というのである。

そこで検討するのに、被告人に対して過失責任を問ううえで前提となる結果の予見可能性は、傷害の点すなわち被告人が被害者にふぐの肝料理を提供することによつて被害者がふぐ中毒症状を起すことについて存在すれば足り、致死の点すなわち被害者がふぐ中毒症状を起して死亡するに至ることについてまで必要とするものではない。後者は、ふぐ中毒症状を起したことと死亡との間に因果関係が存するか否かの問題として処理すべきものである。そして、本件の場合、被害者が被告人の提供したふぐの肝料理を食したためにふぐ中毒症状を起し、その結果中毒死したことは、原判決の掲げる証拠によつて明白であり、弁護人もこれを争つていない。したがつて、以下においては、右に述べた点について被告人に予見可能性があつたか否かを検討することとする。

まず、原判決挙示の証拠を総合し、当審での事実取調の結果をも参酌すると、次のような事実が認められる。

(一)  近時のふぐ毒に関する研究によると、ふぐ類の多くは肝臓、卵巣等の内臓一般に青酸カリの二、〇〇〇倍もの毒性をもつテトロドトキシンと称する毒を含んでおり、この毒には有効な解毒方法がなく、ふぐ一尾に水一石といわれるほどに十分な水を用いて血を抜けばふぐ毒は除かれるという考えは科学的裏づけのない俗説であること。

(二)  右の研究によると、ふぐの毒性は個体差がはげしく、内臓の部位によつても違いがあり、同種のふぐでも地域、生育状況、季節によつて毒性が異なり、しかも、調理人が通常とりうる方法では毒性の有無、強弱を識別することが困難であるため、ふぐの種類、食する量の多寡、調理方法に注意を払えば安全にふぐ中毒を避けうるという保障は存しないこと。

(三)  ふぐ中毒の症状は、人により千差万別であり、摂取した毒の量、飲食物の量、体質、健康状態、年令、就寝の有無などによつて違いが生じるが、初期の徴候は食後三〇分から数時間後に現われるのが一般である。そして、軽症のときは口唇等の知覚鈍麻だけですむものの、重症になると運動麻痺、知覚麻痺、言語障害、血圧降下、呼吸筋麻痺に伴う呼吸困難などをきたし、早期に人工呼吸装置による酸素吸入などの適切な医療処置を施さなければ、食してから七、八時間で死亡する例が多い、特に、多量の肝を食した場合には重い中毒症状が起る危険性が高く、また、心臓、肝臓などに身体的欠陥があるような場合には、通常人であれば死亡することのない程度の中毒でも死亡するに至る可能性がある。また、同一種類のふぐの肝を数人が同時に食しながら、食した分量、部位、体質などにより、一部の者のみがふぐ中毒にかかる例も多々存すること。

(四)  ふぐがこのような特異な毒性をもつ魚であるところから、本件の発生した当時、十数の都府県において、ふぐ毒による中毒を防止することなどを目的としたふぐ取扱いについての条例が制定されていた。京都府でもすでに昭和二五年九月一九日ふぐ取扱条例(京都府条例第五八号)が制定されており、これによると、知事の行うふぐ処理士試験に合格し免許を受けた者がふぐ処理場で処理したものでなければふぐの調理、授与等ができず(三条、六条)、また、ふぐの肝臓、卵巣など有毒部分の調理、授与等は一切許されないこととされており(七条)、これらに違反した者に対する罰則規定(一三条)も設けられていたこと(なお、右条例は本件発生後の昭和五一年七月二三日全面改正され、罰則が強化されるに至つている)。

(五)  京都府では、右条例の制定以来、府ふぐ料理組合が府の行政指導の下に毎年一回ふぐ処理士試験のための予備講習会を開き、法規の説明、ふぐの種類、内臓の鑑別などの実技指導のほか、ふぐの肝臓など有毒部分は水洗い等によつても除毒することが不可能であり、場合によつては中毒症状を起させるので、絶対に食用に供してはならない旨の指導を行つて、条例の趣旨の徹底をはかつてきた。そのため、いやしくも京都府のふぐ処理士資格を有する調理師であれば、とらふぐの肝にはふぐ中毒症状を起す毒があり、これを客の食用に供してはならないことを常識として有していたこと。

(六)  したがつて、京都府下においては、とらふぐの肝料理を客に提供する慣行はなく、客の嗜好に応じてふぐの肝料理を出すふぐ料理業者があつたとしても、ごく一部のものにすぎず、それも無毒ふぐの肝か専門家でも味の区別がつけ難いといわれるあんこうの肝をとらふぐの肝と称して出しているといわれており、現に被告人がとらふぐの肝料理を被害者らに提供していたことは、ふぐ料理業者間で調理師の初歩的な常識に反する意外な事実と受け止められたこと。

(七)  被告人は、昭和三五年一二月に京都府のふぐ処理士の試験に合格して知事からその免許を受け、ふぐ取扱条例の内容を知つていたことはもとより、右試験に先立つて予備講習にも参加し、その際専門家から、とらふぐを含むふぐの肝臓等の内臓にはテトロドトキシンという青酸カリ以上に強い毒が含まれており、これはいかなる調理方法を用いても除去ないし稀釈できないので絶対に客に提供してはならない旨の説明、指導を受け、とらふぐの肝料理を食用に供するとふぐ中毒症状を起す危険性があることについては十分承知していたし、被告人の得意先で起つた事故として、とらふぐの肝料理を一緒に食した数名の客が皆ふぐ中毒症状を起したことがあるのを耳にしたこともあつた。しかるに、被告人は、永年とらふぐの肝料理を客に提供していて事故がなかつたということから、気を許し、被害者が食通として名高いことも加わつて、被害者にその肝料理を提供したこと。

以上の事実が認められる。そして、これらの事実に徴すると、被告人は、被害者にふぐ料理としてとらふぐの肝を提供するに際し、被害者がこれを食してふぐ中毒症状を起すことを十分に予見し得たものと認められる、

もつとも、関係証拠によると、当夜被害者と同席して被告人の提供したとらふぐの肝料理を食べた客は、被害者の外にも四名いたが、同人らのうちにはふぐ中毒の症状を訴えたものはおらず、被害者が他の人と比べさほど多くの肝を食した様子もうかがわれないこと、被告人は、「政」において、約九年間にわたり、とらふぐの肝料理を常連客に提供してきており、その数も被告人の計算でざつと四、〇〇〇尾に及んでいるのに、本件発生時までにふぐ中毒事故が起きなかつたこと、被害者の心臓の卵円孔には直径約一センチメートルの穴があいていたほか、本件当時被害者は京都南座の歌舞伎興行に出演中で、「政」での会食の際も非常に汗をかくなど疲労の様子が見受けられたことなどの事実が認められ、これらによると、被害者のみがふぐ中毒症状を起すに至つたのには、被害者の食した肝がたまたま毒性の強い部分であつたか、同人の年令、心臓等の欠陥、疲労などの個人的な特殊事情が作用したのではないかとの疑いもあるが、こうした事情は、既に述べたとおり、ふぐ中毒を起させる要因として広く理解されていたところであるから、これらを根拠として予見可能性を否定することはできない。

所論は、被告人に対しとらふぐの肝を客に提供してはならない旨の業務上の注意義務を課することは、ひつきよう、京都府のふぐ取扱条例に定められた義務を刑法上の義務とするものであり、条例の有無で刑法上の注意義務の有無を決めることになり不合理である、と主張する。しかしながら、ふぐ取扱条例は、ふぐ肝臓等有毒部分を客に提供してはならない旨の刑法上の注意義務を取締りの観点から別に明文化したものと解されるから、所論は採用の限りではない。

所論は、また、大阪高等裁判所昭和四四年(う)第一九一号同四五年六月一六日判決(刑事裁判月報第二巻第六号六四三頁)が、神戸市の飲食店営業者が提供したなごやふぐの料理により客が中毒死した事案について、結果発生の予見可能性を欠くとして業務上過失致死罪の成立を否定したことを援用し、本件についても同様の判断が妥当する、と主張する。しかしながら、右判例の事案は、昭和四一年に発生したもので、当時は、未だふぐ毒に関する文献がほとんどなかつたうえ、神戸地方においては、なごやふぐは毒性が弱く、水洗いを十分にすることによつて除毒されるものと信じられており、保健所でさえ調理方法、分量を規制するのみで肝を提供すること自体はこれを容認していたことなどの社会的背景事情を主たる理由として、被告人たる飲食店営業者としては、なごやふぐによつて中毒症状を起すことをとうてい予見し得なかつたと判断し、その過失責任を否定したものであるから、本件とは明らかに事案を異にし、適切ではない。

その他縷述の所論にかんがみ記録を精査検討しても、前示認定を左右するに足りる資料はない。

以上のとおりであるから、原判決が被告人に本件結果の発生につき予見可能性があつたとして被告人の過失責任を認めたのは、その理由は格別、結論においては正当であつて、所論のような法令の解釈適用の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(因果関係の有無に関する主張)について

論旨は、要するに、被害者は本件の肝がふぐの肝であり、それが有毒であることを認識しながらあえて食したのであるから、その死亡は被害者自身の責任であつて、被告人がとらふぐの肝料理を提供したことと被害者がこれを食して中毒死したこととの間には法律上の因果関係がないのに、原判決がこれを認めたのは法令の解釈適用を誤りあるいは事実を誤認したものである、というのである。

関係証拠によると、なるほど、当夜被害者はふぐの肝料理が出されていることを十分承知し、しかも、ある程度までふぐ毒についての知識をもつてこれを食したことが認められるけれども、本件の場合、被害者はあくまでも客であるから、料理店で料理として出されるものを安全に調理されていると信頼して食するのは当然のことといわなければならず、所論はとうてい採用できない。原判決には所論のような法令の解釈適用の誤と事実の誤認もなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(困果関係の中断に関する主張)について

論旨は、要するに、被害者のふぐ中毒症状が発現したのは昭和五〇年一月一六日午前一時前ころか遅くとも同日午前二時三〇分ころであつて、その時点で被害者の妻が適切な看護措置を採れば被害者の死の結果は避けられたと考えられるのに、同人がこれを怠つたため、死の結果を生じさせたものであるから、因果関係は中断しており、被告人には業務上過失傷害の限度で刑責を負わせうるにすぎず、原判決には事実誤認ひいては法令の解釈適用の誤がある、というのである。

調査するのに、原審証人泉谷守の証言によると、被害者は、午前一時から二時の間に、ふぐ毒の血中濃度が最高になつて、一番苦しみ、嘔吐もしているはずであるというのであるが、<証拠>を総合すると、当夜、被害者とともに京都ロイヤルホテル九二〇号室に投宿していた同人の妻たねが、午前三時ころ、就寝中の被害者から起され水を求められて同人の様子がおかしいのに始めて気付き、直ちにナイトマネージヤー吉田勝也を部屋に招いた際には、被害者は、「救急車はちよつと勘弁してもらいたい。救急車よりも町の医者にしてくれんか」と希望を述べ、まだ冷静に会話ができる状況にあり、その後間もなく急に吐き気をもよおし苦しんだことが認められるばかりでなく、被害者の死体を解剖した原審証人山沢吉平の証言によると、その解剖所見からいつて、同人のふぐ中毒症状が午前三時ころに現われたとしても時間的にはなんら不自然ではないというのであるから、原審証人泉谷の右供述部分は、自己のふぐ中毒症例についての限られた経験に基づく単なる推測にすぎないものと認めるべく、これをたやすく措信することはできない。当審の事実取調の結果をも含めて他に被害者の妻が適切な看護措置を怠つたことを疑わしめるに足る証拠は存しない。のみならず、被害者の死亡がふぐ中毒によつて生じたものであることに疑いを入れる余地のない本件においては、被害者のふぐ中毒と死亡との間に刑法上の因果関係が存することはいうまでもなく、所論のような事由をもつてしてもこれを否定することはできない。原判決には所論のような事実の誤認、法令の解釈適用の誤はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(量刑不当に関する主張)について

論旨は、要するに、原判決が被告人に対し刑の執行猶予付きとはいえ禁錮刑を科したのは重きに過ぎるから、罰金刑をもつて処断されたい、というのである。

調査するのに、本件被害者の歌舞伎俳優坂東三津五郎は、歌舞伎界の中心的存在であり、人間国宝として貴重な文化的財産とさえいわれていた者であつて、同人の死は、歌舞伎界のみならず、社会的にも大きな損失であるというべく、被告人の犯行の結果はまことに重大である。しかも、被告人は、昭和三五年に京都府のふぐ処理士の資格を取得し、条例によつてふぐの肝を調理して客に提供することが厳に禁止されていること及びふぐの肝料理が危険であることを十分に知つているのに、あえて約九年もの間ふぐの肝料理を客に提供し、ついに本件事故を起すに至つたものであるから、強く非難されてしかるべきである。しかしながら、反面、わが国においては、古来、ふぐの肝は美味なものとして嗜好されており、被害者も、食通といわれていただけあつて、被告人の提供したふぐの肝料理を好んで食したばかりでなく、もともとその目的で被告人方を訪れている形跡がうかがわれること、通常被害者のように食通と称せられる客は肝料理を出さないと承知しないことが多く、しかも、被害者が永年の馴染客の招きによつて店を訪れた事情もあるので、被告人としては当然肝料理を提供せざるを得ない面もあつたこと、被害者のふぐ中毒が個人的、身体的な特殊事情に起因するとも考えられるうえ、医療処置の余裕も少なかつたこと、被害者の名声故に被告人は厳しい社会的制裁を受けていることなど諸般の事情を勘案すると、本件はとうてい所論のように罰金刑の事案とは認められないけれども、原判決の量刑は刑の執行猶予付きとはいえその刑期の点でやや重過ぎるものと考えられる。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い更に判決することとし、原判決の認定した事実にその挙示する各法条を適用し、主文のとおり判決する。

(瓦谷末雄 香城敏磨 鈴木正義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例